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ガス灯と電灯 |
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ガス灯
● 前史
『ヤング・ジャパン』によると、1867年(慶応3年)4月、ピーズが来浜し、
ガス灯建設計画を説いてまわったが、実現されることなく終わった。
同じ頃米領事スタールを通じて、「サンフランシスコの日本ガス社中」が神奈川奉行に営業許可を申請しており、
ピーズはその代表者であったらしい。
1869年にはこの計画を継承する「横浜気商社目代」ヴァン・リードが出願して拒否されている。
この頃、太田町の医師某もガス灯建設の必要を建議したというが、これは早矢仕有的のことと推測されている。
また、翌明治3年(1870年)9月に出願した「英人シュミット」は、横浜ユナイテッド・クラブの支配人、
W・H・スミスに違いない。
● 日独社中の設置合戦
同じく3年9月、シュルツ・ライス商会が出願した。
これを知った神奈川県知事井関盛良の勧めで、高島嘉右衛門らの日本社中も計画を進めることになり、
居留地内の敷設権をめぐって競争となった。明治4年2月、応募灯数の多いほうに権利が与えられる
ことになったので、両社はそれぞれ仕様書を提示して宣伝に務めた。
オランダ総領事ファン・デア・タク、スイス領事ブレンワルト、ウオルシュ・ホール商会が保証人になった
こともあって、結果は日本社中の勝利となる。
しかし、料金の協定が難行し居留地でガス灯が点火されたのは、日本人町より二年程遅れ、7年12月の
ことであった。
● 高島嘉右衛門のガス灯
明治3年11月、日本社中が招いた技師プレグランが到着した。
上海フランス租界のガス会社頭取を務めていた人である。
しかし、この間に社中メンバーの脱退があいつぎ、4年2月以降は嘉右衛門の単独事業となる。
伊勢山下石炭蔵跡(現在:中区花咲町3丁目、本町小学校所在地)に工場建設が進められ、
5年9月に完成、29日、大江橋から馬車道、本通りにかけて、我国最初のガス灯が点火された。
横浜ガス会社は、8年、町会所に譲渡され、のち横浜市瓦斯局となる。
電灯
● 東京電灯会社とウオルシュ・ホール商会
明治11年(1878年)3月25日、工部大学校で、英国人技師エアトンの指導によって
アーク灯が点火された。これが日本で最初の電灯点火とされ、この日が電気デーになっている。
15年、大倉喜八郎らが米国ブラッシュ商会の勧めで電灯事業を計画し、11月1日には、
同商会から派遣された技師により、事務所の置かれた銀座の大倉組の前で、「公開実物宣伝」が行われた。
この年8月11日付『東京横浜毎日新聞』に、「ブラツシ電気灯会社代理店」
ウオルシュ・ホール商会が、「工事及び其他一切の場所へ電気灯布設せんと欲する御人は下名へ
御来談あらん事を乞う」という広告をだしていることからみて、
ウオルシュ・ホール商会が仲介したものと思われる。
会社の設立は19年7月、5日に開業した。架空電線による配電が開始されたのは、
明治20年(1887年)11月のことであった。
21年には神戸、22年には大阪・京都・名古屋にそれぞれ電灯会社が設立されている。
● 横浜共同電灯会社
横浜でも田沼大右衛門らが発起人となり、横浜共同電灯会社の設立が計画され、22年7月に出願、
11月に関内と居留地を営業区域として許可された。役員選挙の結果、初代社長には高島嘉右衛門が就任した。
翌年、常盤町1丁目に火力発電所を建設、電柱の設置、電線の架設など、工事が進められ、
9月に完成して試験送電を開始した。開業したのは10月1日からである。
12月には、関外を営業区域として設立許可を得ながら、まだ事業に着手していなかった横浜電灯会社の
営業権を吸収している。
26年から横浜共同電灯株式会社、42年には横浜電気株式会社と社名が変わり、
大正10年(1922年)、東京電灯株式会社に合併された。
参考文献、写真左上「海岸通りのガス灯」写真右下「横浜共同電灯株式会社の常盤町発電所」
横浜開港資料館編集「横浜もののはじめ考」より
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