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堤磯右衛門の石鹸製造工場

icon   磯右衛門は磯子村の村役人を務める旧家の出身、自ら記した「堤石鹸製造工場の来歴」 という印刷があり、それによると、彼は横須賀製鉄建築の請負人、藤田清右衛門の代理人として 工事監督にあたっていたが、そこで、「仏人写真師ボイル氏」と知り合い、石鹸の効用と製法を 伝授された。
 明治5年(1872年)、石鹸の輸入量が多いことを知って、「大に感慨する所あり、 輸入を防ぎ国益を興すの一端」にもと製造を志した。 明治6年(1873年)3月、三吉町4丁目に製造場を建築、7月に洗濯石鹸、翌年化粧石鹸の 製造に成功する。「是実に我国石鹸製造の嚆矢なり」と自ら述べている。 「ボイル氏」とは、横須賀製鉄所お雇いフランス人技師、ボエルのことである。

 「横浜毎日新聞」7年(1874年)6月4日号には、堤石鹸を評して「其製精ニ殆ト洋品ニ勝リ、 其価値ハ半ニシテ泰西ニ誇ルニ堪タリ」「小利ニ走ラス、主トシテ国益ニ志ス堤氏ノ如キハ、抑愛国 ノ士ト伝ベキ 」という「日比野某」の投書が掲載されている。

icon また、明治11年(1878年)8月30日号によると、磯右衛門は害虫駆除のための鯨油石鹸を発明した。 明治12年(1879年)には塩水でも使える海水石鹸、明治14年(1881年) にはコレラ予防の石灰石鹸を売り出している。
職工には磯子村の親類や農家の子弟が多かった。石鹸形は、明治7年(1874年)に長者町7丁目の 土岐清次郎という印版師の協力で丸型を作成、翌年これを見本として、東京呉服町の玄々堂に、舶来品 同様の角形真鍮形を彫刻してもらったという。

 明治20年(1887年)、内国勧業博覧会に出品して花紋賞牌を受けたのを始め、たびたび受賞した。 また、弘葉商会の手を経て、香港・上海へ輸出した。事業の最盛期は14年頃であり、それ以降全国的な 不況のなかで経営規模は縮小していった。明治24年(1891年)、磯右衛門が死去、その2年後に 廃業した。


写真 右上「TOILET SOAP 化粧石鹸」
写真 左下「旭形香入しゃぼん 堤製」
参考文献 横浜開港資料館編集「横浜もののはじめ考」より


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