icon 近代水道 icon

icon  近代水道の特徴は有圧送水、濾過浄水、常時給水にあるといわれ、また近代水道の三大発明として 鋳鉄管、砂濾過、ポンプがあげられてもいる。この点からみても、1885年(明治18年)起工、 1887年10月17日市内配水を開始した横浜創設水道は、日本最初の近代水道に相応しい内容を 有しているといえる。しかし、このH・Sパーマー設計監督による横浜創設水道の至る道程には、 数々の先駆的な水道計画の存在したことを忘れることはできない。

〇 ヴァイス大尉の横浜給水提案
 1862年(文久2年)3月18日、英国横浜領事ヴァイス名により、居留民に対する公示のかたちで 提案された 山手の英国領事館隣接地に10,606トンの貯水池を設け、谷戸坂を下って本町通りに 本管を、水町通り等に支管を敷設し、本管ではホース30本分、支管ではホース20本分に連続給水し、 消火に役立てようとする計画で、経費は5,000英ポンドが見込まれた。
J.H.,1862.3.22.「横浜水道関係資料集」所収。

〇ブラントンの横浜給水計画
 灯台寮お雇い技師R・H・ブラントンによる一連の横浜居留地改造計画のひとつ。 帷子川上流川井村に水源を求め、1日に30万ガロン供給するため、80フィートx60フィートの 濾過池と、192フィートx100フィート深さ10フィートの配水池を設けて9インチ径の鋳鉄管に より導水し、9インチ、6インチ、3インチ径の配水管で300か所の消火栓と150か所の共用栓に 常時供給しようとする計画であった。概算経費は209,982ドルが見積もられた この計画は 1870年(明治3年)3月12日付けの「ウィークリー・メイル」紙に公表され、居留民に 注目されたが、日本政府の受け入れるところとはならず、日本人結社による木桶水道(横浜上水) にとってかわられることとなった。
仝曲犬倭甍霤賃膤愎渊餞杤蠡◆崑膩文書」に保存されている(資料番号C154)。
「横浜水道関係資料集」所収。


icon ○横浜上水
 横浜上水は、茂木惣兵衛・原善三郎・高島嘉右衛門・田中平八・大倉喜八朗ら18名の出資により、 明治4年(1871年)3月起工し、明治6年竣工した B針狎遒鮨絽擦箸掘橘樹郡市場村の名主 添田七朗右衛門の建言した路線を基にして橘樹郡鹿島田村までは在来水路(ニヶ領用水)を利用し、 鹿島田村に長約56.4メートル幅22.5メートルの「砂留」を設け、そこから方ニ尺の木桶を埋設して 裏高島町桜橋間の縦一尺四寸横一尺三寸の埋設木桶に接続し、市内に配水するというものであった◆ 明治6年8月16日付けの「横浜毎日新聞」に「当港湊町六丁目水道会社前に新たに成功せし清冽なる 吹井戸、一昨十四日夜より翌朝に至て桶水断絶」とあることから、この時までにほぼ完成していたと みてよかろう。
 横浜上水は、明治6年12月の竣工以来、横浜水道会社において経営されてきたが、収支相整わず、 翌7年6月30日を以て町会所に引き継がれ、県庁の管理するところとなり、配水区域の拡張が なされるとともに、明治10年9月から12年8月にかけて木桶の改修と鉄道横断箇所の鉄管化、 桜木川底桶管の鉄管化、さらに明治15年(1882年)には桜橋・吉田橋間の鉄管化工事が 施され、明治20年新水道が完成するまでどうにか責務をまっとうした。
,海隆屬侶舒泙蓮◆峅I与綟算務経歴ノ大概」(「東京横浜毎日新聞」明治14年2月5日、 「横浜水道関係資料集」所収)に詳しい。
◆嵜斉狎邯史料」二巻、173〜174頁。


○横浜上水の改築計画
 横浜上水の取水点における水質の純良さはヘールツ博士の調査によって明らかにされ  明治12年(1879年)の神奈川県地方衛生会においてヘールツが中心になり、鹿島田における 濾過池と貯水池の設置、アメリカ製木製「ワイコフ式」管の導入が検討されたが実施にはいたらなかった◆ 次いで15年の神奈川県地方衛生会においては、ついに横浜上水の全面改築が決議され、 神奈川県御用掛三田善太郎が改築設計にあたることとなった。三田善太郎は、横浜上水を鉄管化する案と、 新たに相模川より引水する案をたて、多摩川案2,100,447円029、相模川案1,876,179円 934と見積もったぁF蛙縅線の長い相模川案が低く見積もられているのは、おそらく当時立案されていた 運河計画を利用しようとしたからであろう。それはともかくとして、三田新水道案は、15年12月来港した H・S・パーマーの査定を受けることになるがァ⊃型綟擦涼悉錣砲△燭辰董⊃斉狎邯地方衛生会の 果たした役割は極めて大きい。
Dr.A.T.C.Geerts:ON THE DRINKING WATER OF YOKOHAMA AND THE NECESSITY FOR ITS IMPROVEMENT.
 (Transaction of the Asiatic Society of Japan, Vol., Part iii.「横浜水道関係資料集」所収)
◆峅I与綟惨愀源駑曾検廝苅魁腺苅喫如
「横浜水道関係資料集」83〜86頁。
ぁ峅I与綟算錙廖別声24年)17〜19頁。
ァ峅I与綟撮隠娃闇記念−水と港の恩人H・S・パーマー展示図録」(横浜開港資料館)41,62〜65頁。


写真左上「横浜駅前の水道記念噴水塔」鈴木真一撮影。明治20年。「横浜水道写真帳」より。宮内庁書陵部蔵
写真右下「横浜水道事務所」同上
参考文献 横浜開港資料館編集「横浜もののはじめ考」94〜95頁 


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